昨日は、終戦記念日でした。
2年前に亡くなった私の父は、特攻隊の生き残りでした。
19歳の誕生日が来るのを待って、予科練に志願した志願兵でした。
しかし、その時には、戦闘機はなく、『震洋』と言うベニヤ板で作った、モーターボートが父たちの船だったそうです。
138連隊が父の所属の部隊でした。
生前、父は「後、1週間も戦争が長引けば、自分達にも、出撃命令が出ていただろう。多くの戦友と「靖国で、また会おう」と約束をした。だから自分は生きている限り、靖国神社に参拝をする。」
まだ、19歳に成ったばかりの父にとっては、戦友と交わした「靖国で、また会おう」と言う約束は、「免罪」の靖国参拝だったと私は考えています。
「お父さん、戦友には会えましたか?」